生活保護不正受給バッシングについて言いたいことを言う回
日本人は転けたら自分でなんとか這い上がることが美徳というか、それが大人の責任だと思っている。
だからだと思う、生活保護の話をすると、多くの場合不正受給の話題になる。
そんなことを言っているうちに、日本のように転けても人に助けを求めにくい社会が出来上がってしまって、
困っていても声を上げられなくなって、
自分で抱えて抱えきれなくなる人が溢れ、
そうすると日本のように自殺率が極端に高くなる。
行政も国民が声を上げないことに胡座をかいて、最小限のことしかしなくなる。
能登の復興状況を見ればわかる。
1年経ってもまだ避難生活を送る人たちがいる。瓦礫の山もそのまま。
日本に住む限り、明日は我が身だ。
アメリカで火事があったが政府が100%政府補償とした。
困っている人を救うのが政府、行政だから当然なのだが日本人にとっては目から鱗の対応なはずだ。
そんなアメリカ政府の対応を横目に日本人は遠慮深く、人様に迷惑をかけないと我慢強く生きて、支援を受ける人をずるい、不正だ、許せないとバッシングし続ける。
生活保護受給バッシングをする人に限って難民を受け入れたら治安が悪くなると言い、難民は贅沢な暮らしをするべきではないと言い、そして政治家の裏金バッシングは控えめだったりする。
困った時に、自助で乗り越えるのであれば税金なんていらない、払わなくていい。
人は、人に頼れてこそ一人前だ。困ったところに必ず行政支援が行き届く社会こそが成熟、洗練された社会だ。
そもそも社会的弱者と自分を切り離して考えない方がいい。
自分がいつ社会的弱者の立場に置かれるか、わからないし、
誰にだってその機会は必ず訪れる。全員が、生まれた時は一人で何もできない社会的弱者だったわけで。
というより、もうすでに発言力を制限されがちな日本人である私たちのほとんどがすでに社会的弱者なんじゃないのか。日本では女性はほぼ全員社会的弱者なんだし。要するに誰でも社会的弱者になる時期はあるのだから、「助けて」、と人に言えることは一人前の人間の証だ。そうでないと死んでしまうからだ。
話を戻すが、最後のセーフティネットである生活保護は必要な人に行き届く方がいいに決まっている。生活保護を必要とする人のうち、10パーセントとそこそこの人にしか行き届かない日本は被災地の復興にも支援が不足している。この2つは繋がっている問題だと早く気づいた方がいい。
話は逸れるが、石破内閣が昨年10月に能登復興に十分な予算をつけずに衆議院を解散し、それに対し抗議してプラカードを掲げたれいわ新選組の国会議員。これにバッシングが来るのが日本。何もしない、言わないのは受け入れると一緒だ。
いつものように色々話したが、何が言いたかったかというと、生活保護バッシングは国民のためにお金を使いたくない政治家、官僚にしかメリットがないので、今すぐやめた方がいい。ちなみに不正受給は1パーセントもない(そもそも生活保護制度にかける国家予算は全体のわずか2.8パーセント。少なすぎるくらい)。
この1パーセント未満の不正受給を許せば、どんどん広がると不安なのか。捕捉率80%を超える国々の様子を見てごらん、不正受給は蔓延っていないし、自殺率も日本より低いし、人々が日本人より幸せそうにみえる。
ちなみに私は日本に帰ってきて、自分は不幸せになったと思う。どこの組織も地獄だな、と思うからだ。この世の地獄、日本。子どもにも申し訳ないと思う。カナダに難民した日本人カップルがいたことを思い出す。しかも難民申請受理されていたのだから笑うしかない。国際的にも地獄とハンコを押されましたね。
だからこそ、日本で頑張ります。日本で一緒に頑張ってくれる仲間の皆さんとの出会いのみが支えです。