被災地に十分な救援と支援を!
能登半島地震で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
避難所は劣悪な環境、被災者の食事は、「冷たいおにぎりやカップラーメン」との報道に胸が痛む。
2011年、東日本大震災の被災地で避難所や仮設住宅をまわるなど、ボランティアとして働いた。あれから10年余り、どうして日本の避難所の暮らしは改善されないのだろうか?
住居を失い、家族友人までも失った方も多く、心身ともに疲弊している被災者に何故、さらなる我慢を強いるのだろうか?海外の避難所では被災者のプライバシーが守られ、暖かい食事や清潔なトイレが用意されると報道が伝えている。
東日本大震災の被災地でボランティアとして働く中、被災者の方々からお話を聞かせていただいた。津波でお連れ合いとお子さんを亡くされた仮設住宅に避難する漁師の男性、震災以降、ずっとカップラーメンしか食べていない、野菜や魚が食べたいと、悲痛な表情で訴えておられたのが忘れられない。それは震災から2ヶ月が過ぎた頃だった。「テレビではどこかの著名人が被災地に寄付したなど美談ばかりが報道されているが、どうして被災者の暮らしが2ヶ月経っても改善されないのか、お金は一体どこに使われているのか」とも訴えておられた。地元に帰ったら被災地で見たことを、テレビで報道されることのない被災者のひどい暮らしぶりを伝えて欲しい、と頼まれた。
ボランティアとしての拠点は仙台市内の半壊したアパートだった。石巻市、南三陸町や気仙沼市などの避難所から1〜1時間30分ほど車を走らせたところにそのアパートがあった。不思議なことに、仙台市内のスーパーマーケットには惣菜や野菜が並んでいた。
1月5日の党首会談で自民、公明、立憲民主、日本維新の会、共産、国民民主の6党が被災地視察について、救助活動や支援物資輸送の妨げになるのを避けるため当面自粛することを申し合わせたとのことだが、これが正しい判断だとはとても思えない。ましてや岸田首相も「自分自身も視察を見合わせている」とのこと。首相は一刻も早く現地へ赴き被害状況、被災者の避難状況をみて、どんな支援が必要とされているのか、どうすれば一人でも多くの命を救えるのか、自らの目で見極めるべきだ。東日本大震災の被災者の漁師の男性も強く言われていた、それこそが被災者の願いでもある。百聞は一見にしかず、だ。
私が被災者であるなら、冷やかしや強盗などの犯罪行為などは論外だが、素人であっても、多少足手纏いになりながらも被害に心を痛め、被災地に思いを馳せ、関わりをもとうとしてくれる人が一人でも多い方が安心できる。テレビやスマホの画面上で対岸の火事のように眺められているよりよっぽどマシだと思う。
報道について、今は、被災地に記者が入り、被害状況や被災者の苦難を伝える報道量は多いが、今回、被害の大きさが明らかになりつつあり、復旧復興、とりわけ震災、火災、津波で住居を破壊された人々の避難生活は長期にわたることが予想されることから、被災者に密着した息の長い報道を期待したい。
国のリーダーたるもの、素早い初動、一刻を争う支援の判断が求められる。そして二次、三次の切れ目のない支援を発動し続けなければならない。救助活動が落ち着くまで、テレビに出演しながら待つ、なんなら新年会に出席する、そんな悠長なものではないことは明白だ。コロナ禍でも、日本政府の対応は他国に比べ遅かった。「検討する」が続くうちに他の多くの国では国民に給付金がとっくに届いていた。
カナダでの生活が長かったので比較することができるが、日本政府は困っている人への支援を平時より軽んじていると強く感じる。政府が支援が必要な人に手を差し伸べ、憲法で義務付けられている健康的で文化的な最低限度の生活をしっかり守っているかどうかは、言うまでもなく全ての人に関わることだ。
日本は過去30年間経済成長もなく、災害対応も海外諸国と比べても、遅れているのは何故なのか?なんのために税金を払っているのかわからなくなる。れいわ新選組は被災地にもっと予算をつけるべきだと訴えている。海外では当たり前。人を大切にする政権への交代が必要だ。
現政権は、万博より、被災地救援に充分な予算を!