多様性に寛容な社会で暮らしたい
インクルーシブ教育が進んでいることでで知られている豊中市ですが世界から見たら、、
私自身も豊中で育ちました。確かに「共に学ぶ共に育つ」は当たり前のことでした。しかしその豊中も世界的には遅れているんです。何故かというと、特別支援学校があるからなんです。そして2028年、豊中市内にもう一つ特別支援学校ができるんです。市長、教育長、「共に学び共に育つ、豊中市の教育理念を守る」と言いながらも、やっていることは逆行しているということなんです。
日本は障害者権利条約を批准しています。そして国連から勧告を受けています。「合理的配慮ができていれば特別支援学校はいらないのではないか」と厳しい指摘を受けている。日本はこの状況を世界にどう説明するつもりなのか?豊中市はどう考えているのかと問いたいと思っています。「豊中市に特別支援学校ができるんだよ」、とカナダ人の夫に話すと、悲しそうな顔をして、「どうして、大人がそんなひどいことを子どもにできるんだ、子どもを障害のあるなしで分けることがどれだけ非情なことか」と、日本社会に失望していました。
高校受験がないカナダ
日本には、しんどい子どもがたくさんいます。例えば不登校、増えています。こんなに不登校の子どもが増えて、日本の教育システムは失敗だと言っていいと思います。子どもたちがしんどいのは、大人が子どもを分離するからだと私は考えています。
教育現場で、カナダと日本の大きな違いが他にもあります。それは高校受験です。日本は学力で子どもを分類します。カナダの高校生は地域の高校に通います。
ここで問いたいのは、子どもの能力に15歳とか16歳とかで(もっと若くで受験に挑戦することもありますよね)レッテルを貼る必要があるのかということです。
私は小中と豊中市の公立学校に通いました。クラスメイトには障害をもった子がいることもありました。やんちゃで窓を割っちゃったりする子がいたり、博士と言うあだ名の成績優秀な子がいたり、様々な児童生徒がいました。いい思い出も嫌な思い出もありましたが、毎日学校へ通っていた。受験を経て、中か、中の上くらいの公立高校に入りました。その高校がまたブラック校則だった。分類されて型に嵌められたな、あなたはこのレベルだよと、レッテルをはられてしまった、学校にいくことに抵抗を覚えて、通えなくなった。
このままではだめだと、大阪市内の単位制の学校に転入しました。その学校にはいろんな生徒がいた。金髪!とかアフロ!とか個性的な髪型、山姥ギャル!私立の進学校から編入したようなこもいた。再び毎日学校に朝から真面目に通い無事卒業。卒業して社会人になって、10年たち、窮屈だな、海外に行きたい!窮屈な日本を飛び出して、カナダ、トロントに渡りました。
びっくりするぐらいいろんな人がいました。居心地がよくて住み着きました。
トロントで学生をし、出会いがあって結婚。子育てをしました。
現地の日本人の友達、ママ友もたくさんできました。
そこで気づくのですが、カナダに住みやすい日本人は私のように日本が窮屈だと思った人間だけかと思った、ところが違ったのです。
駐在員の夫の都合で移住したという日本人ママとの出会いもありました。「もう日本では子育てできないわーいつか日本に帰るのにどうしようかな、、」と話していました。他にもカナダで働いている女友達もよく「日本でまた働く自信がない、息苦しい職場だろうし、給料も安いし、、」と話していました。
みんな違ってみんないい、枠に嵌めない、型に嵌めない、はみ出したっていい、違いを認め合える社会の方がみんな幸せに暮らせるのではじゃないでしょうか
豊中市で子育てをするお母さんお父さん、「なんでうちの子が障害をもった子と同じクラスで学ばなければいけないの?」と言う人が結構いるらしいです。自分の子供の首を閉めています。そしてこのお母さんお父さんは自分の首も締めていることに気づいていない。。。
子どもをわけない、地域の高校に通わせる、このような取り組みで不登校少なくなるのではないでしょうか。
豊中市が今進めようとしていること、「学びのばの多様性」、「子どもをさらに分類」、、。国際的な流れに逆らって、インクルーシブ教育の後退を進めようという力、これに抗い、共に学ぶ、さらに進めることに尽力していきたい、もちろんインクルーシブ教育、積極財政なしには語れません。れいわ新撰組の議員として、積極財政、インクルーシブ教育推進、この両輪で訴えていきたい。