豊中のインクルーシブ教育について思うこと
今日は7/13(木)、朝から豊中のインクルーシブ教育について、意見交換をしました。相手のお二人は1970年代の障がい児就学闘争で闘われた経験をお持ちです。当事者家族の視点からお話しいただきました。
お子さんが小・中学校に通われていた頃を振り返り、いじめもあったと話され胸の塞ぐ思いでした。「背中に靴の跡をつけて帰ってきていた」「学校に行きたがらなかった」。
小学校に入学できたと思ったら朝礼で分けられていたそうです。それを知るとすぐに学校に話をしに行き、朝礼で普通学級に入れてもらうことができた。「それでもまた学習発表会で特別支援のグループに入れられていたのでそれもまた話しに行った。私はうるさい保護者だったから息子は普通学級にいた。」。息子さんが普通学級から分けられる度に根気よく学校に話をしに行かれたそうです。
PTAでの集まりではまるで吊し上げだったとのこと。他の児童生徒の親からのいじめの問題という逆風にも立ち向かい、お二人は子どもを普通学級に通わせ続けた。今の豊中のインクルーシブ教育、このようにして障がい児のご家族の諦めない努力があってこその今なんだと知りました。
教科担当の教師が差別発言をしたことがあったそうです。すると他の生徒が怒ってクラス全員で授業のボイコットをしたというインクルーシブ教育ならではのこころ温まる出来事もあったとか。なんとも胸熱、目頭も熱くなりました。
豊中のインクルーシブ教育が最近報道で繰り返し取り沙汰され賞賛されることについて、私自身卒業生として「そんなにいい小・中学校だったかな、、いじめはあったし教師をはじめ周囲の大人は無関心だったよな、むしろ教師が弱いものいじめに加担する光景はたくさん見てきました。」と、自分なりの違和感も正直に伝えさせていただきました。インクルーシブ教育と徹底した人権教育、性教育のセットは必要不可欠だという考えにも賛同いただきました。
確かに学校に入ることすらできなくて裁判を起こしたりしなければいけない自治体がある中で、普通学級に入るハードルが低い豊中市は「すごい」ということになります。しかし、今のままで素晴らしいと、ユートピアのように語るのは違うのではないかと思う訳です。もっとより良い環境を、学校で社会性を学ぶ全ての子どもにとってのベストを国や自治体は絶え間なく目指すべきです。
現在豊中市には特別支援学校もあります。2022年にジュネーブで行われた障害者権利条約の批准国に対する国連の審査で日本政府・文科省は、「合理的配慮を普通の学校で行うことができていれば、特別支援学校にいく必要は無くなるのではないか」と厳しい指摘をうけています。
「インクルーシブ教育ってなんなんやろうね」とお二人はおっしゃいます。障がい者にとどまらず、性の不一致(ジェンダーアイデンティティの悩み)やいじめ、虐待によって負った傷があったり、さまざまな複雑な悩みを抱える児童生徒が集まり助け合い共存するために決定的に欠けているもの、それは『大人も含む人権意識の低さ』ではないでしょうか。今の日本の教育現場の問題をどのように解決していくのか。
「当時はテコ入れからだったから運動しやすかったけど、今は制度ができてしまい運動になりにくいんちゃうかな」と、導入当時と現在の運動のしやすさの違いへのご指摘もありました。お二人と意見を交わす時間はすごく実のあるものでした。また第二弾、三弾と意見交換会を続けていきたいと思います。